まろにしも の好奇心メモ

私にとって知的好奇心はエネルギーの源です。読書や考えたことなどでこれは面白い!と思ったことを備忘的に書いていこうと思います!

学ぶことの報酬

「人生の最大の報酬は知的活動によって得られる」

これは、キュリー夫人(マリー・キュリー 1867 – 1934)の言葉である。

そりゃ、彼女が言うと、説得力ありますよね。

だって、放射能の研究で、彼女はノーベル賞を二度も受賞している
のだから。(ノーベル化学賞ノーベル物理学賞

しかも、彼女の娘(イレーヌ・ジョリオ=キュリー)も人工放射性元素
研究で、ノーベル化学賞を受賞。

(報酬をもらいまっくてるやん)

 

しかし、彼女の自伝を読んでいると、彼女がノーベル賞という栄誉を報酬
として、そこまで重要視していなかったように思われます。

ノーベル賞で大金(当時の7万フラン)を手にしても、
無頓着にも姉が経営する病院に寄付するなどして、自分の研究資金の
不足にも苦しむというアリサマ。

彼女が学問を愛し、学問を続けてきたのは、学問をすることで得られる
「本能的な喜び」を味わうためだったと思うのです。

人に認められたいとか、栄誉を得たいとか、そういうのではなくて、
学問そのものから得られる喜びを純粋に求め、否、求めざるを得ないほど
に学問に取り付かれていたのではないかと思うのです。

「未知のことがらを学ぶたびに喜びが胸にあふれる思いでした。
・・・友達もないまま、パリという大都会の片隅にひっそりと
暮らしていたわけですが、たよりにする人も援助してくれる人
もないこを悲しく思ったことはただの一度もありません。
ときに孤独の思いにふけることはあってもわたくしの日常的気分
は、やすらかな安息、それに完全な道徳的満足のそれでした」

私のようなフツーの人でも、このような彼女の気持ちに共感出来ます。

すごく没頭して勉強した後の爽快感、いままで分からなかったことが
繋がったときの喜び、アカデミックな世界に浸っているときの何とも
言えないワクワク感(自己満足かも知れないけど)。

 

じゃ、知的歓びを求めて「学び」を始めるとして、何を学んだら良い?

日々の生活の中で、ふと沸き起こった興味が入口になるのだと思います。

あるいは、学生時代の勉強で面白いと感じたこととか。

大事なのは、色気を出さないということ。

色気を出さないとはどういうことかって言うと、
学ぶことを通じて、人に認められたいとか、お金儲けに繋げたいとか、
仕事に繋げたいとか。そういう邪心は持たぬ、ということ。

邪心があれば、たちまち好奇心の女神はシラけてしまう。

純粋に「学ぶこと」を欲し、そこから得られる知的歓び以外は何モノも
期待しない、そういう姿勢で「学ぶこと」を追求していると、知らない間に
知的歓びの虜になっている自分を発見するはず。

知的歓びの気持ち良さをナメてはいけない。
中毒性があり、一度それを知ったら、やめられない、とまらない。

食欲や性欲以上かも知れない。

年齢が増し、体力が衰えても、知的歓びの方はますます盛んになる。

だから、知的歓びに満たされている人は、若い!

また今度、知的歓びの虜になるための、「独学の秘訣」について言語化して
みたいと思います。

勝負の鬼のメンタリティ

勝負ごとにおいて、勝敗を決めるのは何なのでしょうか?

実力や努力、その日のコンディション?それに運。

勝負強い人っていますよね。ずっと勝ち続けることが出来る人。

無敗ではないかも知れないけれど、ここぞというところでは、
キッチリ結果を出せる人。

そういう人って何が違うんでしょうか?

『勝ち続ける意志力』(梅原大吾 小学館新書) は、勝負ごとに強い人は
いったいどういう思考をしているのか、どういうメンタリティをもって
日々を生きているのか?著者自らの体験談をもって教えてくれます。

悩みに悩み抜いた人の例に洩れず、著者の言語化能力は恐ろしく高いです。

著者は、世界一のプロ格闘ゲーマー。17歳(1998年)にして世界一の称号
を獲得。29歳(2010年)にして「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロ
ゲーマー」としてギネス認定。

梅原氏は勝負事に重要なものとしてまず、「迷う力」を挙げる。

僕はこれまで頭の回転が速く、要領が良く、勢いに乗っていると思われる人間と何度も戦ってきたが、ただの一度も負ける気はしなかった。それはなぜか。彼らと僕とでは迷ってきた量が圧倒的に違うからだ

迷いながら、「考え抜く」ということ。

勝ち続けるためには、ひとつの問題に対して深く考えなければならない。既成概念を捨てて、視点や角度を変えながら徹底的に原因を究明する。

迷い、考え抜いて、そしてどうするのか?

とにかくやってみること。おそれずに自分を「変化」させること。

梅原氏は言う。

多くの人は、変わることと前へ進むことは別だと思っているだろう。確かに、自分を変えることは不安だし、変化した先に勝利があるとは限らない。けれども変わり続けていれば必ず前へ進める。

変化したことで失敗したり、後ろに下がったりしたときは、もう一度変化すればいい。失敗に気づいて変化すれば、以前の自分よりも必ず高い位置に行ける。

 変化するためのコツについて

「そうすることで良くなるかどうかまで考えない」ということだ。もし悪くなったとしたら、それに気づいたときにまた変えればいい。とにかく、大事なのは変わり続けることだ。

 深いですね。「考え抜くこと」と「変化すること」は別物ではないのですね。

考えるだけでは駄目。変化することで考えは深まる。

そして、更なる変化に繋げる。

迷い、考えながら変化を遂げる。変化して失敗しても、また変化を遂げる。

つまり「トライアル&エラー(試行錯誤)」を何度も何度も繰り返すこと。

それによって「成長」を遂げる。

結局、勝負の鬼である梅原氏が、「勝敗」以上にこだわっているのが、「成長」
なんです。

結果ばかりを追求していると、型にはまった考えしか浮かばなくなる。もっと効率のいい戦法はないか、もっと安全な戦い方はないか。

 そして、「間違った努力」に走ってしまうという。

当時の僕は、苦しいことを我慢することのみが真の努力だと思っていた。ガムシャラに時間を割いたり、数をこなしたりするのは、自分を痛み続けるだけだと気づけなかった。

 日々の研鑽の中で「変化」を起こし、迷いながら学び続ける。

その継続で、小さな成長へと繋げる。

勝負そのものも、自分を成長させる機会だととらえる。

勝っても負けても、そこから学ぶ。

そして自らを変化させる。

全ては、自らの「成長」のため。全ての目的は「成長」。

1回ぽっきりの勝負なら、運とか才能とか根性とか、何か一つが飛び抜けて
いれば乗り切ることが出来るかも知れませんが、勝ち続けるためには、
絶えず成長し続ける中でしか得られない「真の実力」が必要であり、
それは運も才能をも凌駕する、ということなのかも知れません。

著者が実体験を通じて得た境地を見事に言語化したこの本は、とてつもない
説得力とパワーがあります。

朝の通勤電車でこの本を読んだのですが、毎朝、ポジティブなパワーを
いただきました。本当、名言の宝庫で、いっぱい線を引いてしまった。

好きなゲームにトコトン打ち込んで、それで結果を出して世に認められて
著者のことを羨ましく思うかも知れませんが、著者の歩んできたゲーム道
は決して平坦なものでもなく、順風満帆でもなかった。

むしろ自己否定と苦悩の連続だった。

そういう体験があったからこそ、いまの著者があるような気がします。
またどこかでお伝えしたいと思います。

 

計量経済学って面白い!因果関係を検証するツール

40歳を超えてから、経済学を学ぶために某国立大学の大学院に入学
しました。

そして、計量経済学と出会いました。

計量経済学とは、データとデータとの間にある因果関係を読み解くための
学問であり、実証分析系の論文を書くためには、これを用いることが必須
となります。

ま、平たく言うと、計量経済学とは統計学です。

ただし、統計学の方がもっと広い概念で、計量経済学では、特に以下の
2点を重要視します。

 

1.「因果関係」を分析するということ。

これまた統計学の一種である「機会学習」の世界では、「因果関係」
よりも「予測」を重要視することが多いです。「予測」するために、
膨大な数の変数を用いて、因果関係とか相関関係とか、あまり区別せずに、
とにかく「予測」します。予測精度は重要視しますが、そのメカニズム
(因果関係)を解明することには、あまりこだわりません。

因果関係と相関関係の相違については、(これまた面白いので)別の記事
で取り上げたいと思います。

 

2.データの対象が人間であり、「人間の行動」についての因果関係を
分析

ココが、計量経済学の魅力であり目的でもあります。

 例えば、喫煙者と非喫煙者とでは、前者の方が肺がんになる割合が高い
ですね。だけど、これをもって喫煙は肺がんの要因になる
(因果関係がある)とするのは、早計です。

何故なら、喫煙者はお酒を飲む人が多いので、もしかすると、喫煙では
なくて、飲酒が肺がんを引き起こしている可能性も考えられるからです。
もっと言うと、喫煙者は非喫煙者と較べて、健康に対する意識が低く、
生活習慣が不健全である可能性が高いと考えられます。したがって、
喫煙ではなく、「不摂生な生活習慣」が肺がんを引き起こしている可能性
も考えられます。

じゃ、どうすれば、喫煙と肺がんとの間に「因果関係がある」と言える
のでしょうか?

その方法と言うのは、

人間(サンプル)を無作為に抽出し、ランダムに2グループに振り分け、
一方のグループには煙草を吸ってもらい(介入群)、もう一方のグループ
には喫煙を禁じます(対照群)。そして、両グループの肺がんになる比率
を経年で観察し、前者の方が肺がんの罹患率が高いかどうかを確認する、
ということをしなければなりません。

これを、『ランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial)』と
言います。

だけど、こんな実験は人道的に許されませんよね。

そこで、出番となるのが計量経済学なのです。

つまり、喫煙などの「人間の行動」は人道上、実験出来ない場合が多い
ので(「非実験データ」といいます)、計量経済学でのテクニックを
用いて、因果関係分析に持ち込むのです。

「第3の変数」で制御したり、パネルデータを用いて個体差の影響を
取り除いたり、「逆の因果」の影響を除去したり・・・

私は大学院で、長時間労働や睡眠時間がメンタルヘルスに与える影響を
定量的・統計的に分析するために、計量経済学を学びました。

結論は、長時間労働⇒短時間睡眠⇒メンタルヘルス悪化
という因果関係が「統計的に有意にある」ことが確認できたのですが、
これはまたの機会に!

先ほどの『ランダム化比較対照試験』も、これまたスゴイんです。

エビデンスとしては最強。

人道的に問題にならない場合は、政策効果を定量的に評価・検証する手段
として米国では良く活用されています(統計後進国の日本と大きな違い)。
⇒EBPM:Evidence-based Policy Making エビデンスに基づく政策立案

高い税金を投入して政策を実行するのだら、少しでも効果の高い政策を
実行するのが筋ですよね。
(政治家の票集めのためのバラマキに使われたらたまらん)

2020年に夫婦でノーベル経済学賞を受賞した、エステル・デュフロ氏
とアビジット・V・バナジー氏は、『ランダム化比較対照試験』を
バンバン活用し、発展途上国の貧困対策について有効な政策を立案
しています。

これについても、またの機会に記事にしたいと思います!

 いずれにせよ、「人間の行動」の因果関係を定量的に分析する、
ってワクワクしませんか?

GAFA+Mは、計量経済学を専門とする経済学者を数百人規模で採用して、
「人間の行動」の因果関係を分析したうえで、マーケティング戦略
立てているのだから、そりゃ日本企業など立ち打ち出来ないですね。
(上場企業が束になっても、GAFA+Mに時価総額で負ける)。

 

アインシュタインの脳

頭の良さは遺伝か環境かという議論は昔からありますね。

結論は、両方ともらしいです。

つまり、遺伝子と環境が相互に影響し合っているということです。

(この頭の良さって何?というところは、これまた興味深い議論ですが、
 ここでは置いておきます)

「頭の良い」遺伝子が、頭を良くする環境やライフスタイル選択に影響を
及ぼし、逆に、「頭を良くするうえで望ましい」環境が、頭の良い遺伝子を
強化する(遺伝子ON状態にする)ということでしょうか。

 

さて、「20世紀最大の物理学者」と言われたアインシュタインの脳は
どのようなものだったのでしょうか。

そりゃ、脳の出来・造りそのものが一般ピープルと違うに決まっている、
と思います(でも気になる)。

 

これについて、実に興味深いことが『脳を鍛える』(立花隆)に
書いてありました。

ニューロンの数で言うと、アインシュタインの脳は一般ピープルと大差
がないらしいのです。

ニューロンの数は増えないので、ある意味、ニューロンの数で頭の出来が
決まってしまう部分はあるのですが、ナント、アインシュタイン
ニューロンの数は「月並み」だと言うのです。

じゃ、何が違うのでしょうか? 

それはグリア細胞の数

アインシュタインの場合、一般ピープルと較べて、異常なくらいに
グリア細胞の数が多いらしいのです。

グリア細胞は、ニューロン活動を支援するので、ニューロンの数は
多くなくても、グリア細胞が多ければ、ニューロン活動が活性化する
ということです(頭の回転が速くなる)。

 

興味深いのは、ここからです。

グリア細胞の方は(頭を使えば)どんどん増殖して、ニューロン活動の
活動性と機能を高めてくれるというのです。

本を引用すると、

遺伝子によって神経回路の基本が作られるまでは、ニューロンが主役ですが、そのあと、その回路を基盤にどれだけ頭が良くなっていくかは、環境によって、その基本回路がどれだけ肉付けされたかによって決まり、そちら側の主役はグリア細胞だということです

ということは、アイシュタインの飛び抜けて優れた知能は決して
「先天的」なものではなく(ニューロンの数ではなく)、環境によって
グリア細胞を増やしたことによる賜物であり、「後天的」なものだと
いうことが言えます。

ニューロンの数を言い訳にして怠けている場合ではないということですね。
頭良くなりたければ、頭を良く使ってグリア細胞を増やしなさい、
ということをアインシュタインの脳は教えてくれています。

 

『大地』(パール・バック)の読んで、ふと思ったこと

『大地』という本に出合ったのは高校生のときでした。

この本を読むきっかけとなったのは、私が高校生のときの地理の先生の一言。

「この本は素晴らしい本です。読むと人生が変わりますよ!」 と。

あんまりパっとしない先生だったのだが、この本を紹介するときの先生のキラキラした顔があまりにも強烈で、帰り途に早速、駅の近くの本屋さんに行き、4巻まとめて買いました。

強烈に面白かった。

高校時代なので、ずいぶんぼ昔の話だけど、ページをメクるのがもったいないと思うくらいに面白かった。

中国を舞台とした親子3代の歴史大河小説で、時代背景は清王朝が崩壊に至る激動期

時代の荒波に翻弄されながらも、たくましく、したたかに、(時には)愚かに生きていく。

其々の世代が生きた時代背景が異なるので、世代間の溝が浮き彫りになる。

同じ血を分けた親子なのに、かくも価値観が異なるものかと思いつつ、よく考えてみると、現代の私達の社会でもそういうものなのかも知れませんね。

働き方に対する価値観、生活の中で重視すること、LGBTに対する考え方、などは、世代間で考え方が大きく隔たりがあるような気がします。

 

「大地」に限らず、「世代をまたがる小説」は、面白いものが多いと思います。

助左衛門四代記(有吉佐和子)、赤朽葉家の伝説(桜庭 一樹)、楡家の人びと(北杜夫)など

どれも、最高に、没頭的に面白かったです。

 

何故でしょうか? 

自分の両親、祖父母などにも、各々に活き活きと(青くさく)命を燃やした時代があっりました。

その時代特有の雰囲気の中で各々の青春期がありました。

いま自分が生きている世界だけが全てではないということを感じ取り、もっともっと大きな世界観の中に自分が居ることを思い知るとき、日常生活の中で感じているイライラや倦怠感など、どうでも良いこと(小さいこと)のように思えてきます。

祖父母から両親へ、両親から私達に脈々と引き継がれている「何か」を感じるとき、価値観の相違を超えてそれは間違いなく私達を静かに励ましてくれるように思います。そして私達も静かに「何か」を次の世代へと引き継いでいきたい。

決して偉大なものではない、不器用にあれこれやって失敗して傷ついて、転んで、また立ち上がって。そういう、泥臭い時代の流れや雰囲気を感じることに、「世代をまたがる小説」の魅力があるように思います。

ふと、そんなことを思いました。