まろにしも の好奇心メモ

私にとって知的好奇心はエネルギーの源です。読書や考えたことなどでこれは面白い!と思ったことを備忘的に書いていこうと思います!

遺伝子の神秘

f:id:maronishimo:20210403150106j:plain

遺伝子

『遺伝子』(シッダールタ・ムカジー)を読んでいる。

遺伝子レベルで見ても、種の存続の戦略として「多様性」がいかに重要であるかが分かる。

多様性があるから、いかなる環境変化があったときにも、種を存続させる確率を高めることが出来る。

極端な話、多様性が無く「純血」種であれば、環境変化でイチコロ、全滅してしまう。

ここでポイントとなるのは、環境変化で生き残った種が優れているという訳ではない、ということ。

つまり、種の存続という見地から見ると、優れた遺伝系というものは存在しない。

「たまたま」その環境にフィット(適合)したものが生き残ったに過ぎない。

例えば、「美しく高い鼻」の男は女性にモテるとする。一方、「醜いだんご鼻」はモテないが、実はメッチャ生命力が強く、病気になりにくいとする。

この場合、子孫を残し、増やし続けることが出来る遺伝子は「(単に)高いだけの鼻」となる。

生命力が強いだんご鼻は子孫を残せず、やがて淘汰されてしまう。

★★★

優生学は、「優れた遺伝子」を残し、「劣った遺伝子」を断絶することに熱心であるが、そもそも「優れた遺伝子」とは何か?

人間の浅知恵で考えると、健康で知能が高く、美しい遺伝子が「優れた遺伝子」だと言うことになる。

仮にそうだとしても、問題はそんなに単純ではない。

何故なら、そういった複雑な表現型(健康、知能、美貌)を遺伝子レベルで特定することは出来ないからだ。

つまり、「頭が良くなる遺伝子」とか「美貌になる遺伝子」を、1対1で特定して抽出できるものではない、ということ。

エビデンスがある訳ではないが、極端に知能が高い人は、極端に内向的で繊細な人が多い。感受性が強すぎて精神的に不安定な人も少なくない。

極端に高い知能を持つということと、精神的な不安定さを抱えるということは、相関している可能性が高いように思える。

仮に遺伝子操作によってIQ200の知能を得たとしても、極めて繊細な精神も一緒に引き継いでしまうかも知れない。

そもそも「頭が良い」という絶対的な尺度はあるのか?

これまた美貌と同様、時代や環境に変わってくる相対的なものではなかろうか?

かつては認知能力(推理、論理、空間認識、言語、記憶など)が高い(IQが高い)ということが「頭が良い」ということだったかも知れないが、これらはAIが得意とする分野である。

これからは、感性とか人間関係構築力とか、やり抜く力とか、忍耐力とか、感情リテラシーが高い人が「頭が良い」ということになるかも知れない。

更に興味深いのは、仮に全く同じ遺伝子を持っていても、その遺伝子が「ON」の状態か「OFF」の状態かによって表現型には差異が発生するということ。

つまり、同じ乳がんになる遺伝子を持っていても、乳がんを発症する人もいれば(ONの状態)、発症しない人(OFFの状態)もいるということ。

良い遺伝子はONにしたいし、いやな遺伝子はOFFにしておきたいけど、このスイッチを能動的に切り替える方法は解明されていない。

そう言えば、小学生のときは劣等生だったのに、中学生になってから急に賢くなった友達がいたなぁ。

あれってもしかすると、知能を含む遺伝子が何かの弾みで「ON」になったのかも知れない。

分子生物学者の村上和雄氏も同じことを言っていた。
(落ちこぼれだった自分が京大に入ったのは、高校生のときに知性の遺伝子が「ON」になったからだと言っていた。確かに。勉強の面白さに目覚めたときに、何かの拍子に知能の遺伝子がオンになったりするかも知れない)

遺伝子って神秘的だなぁ。

人間が人為的に操作するには、あまりにも深遠過ぎる。

20世紀は「物理学の世紀」、21世紀は「生命科学の世紀」と言われているとおり、いま遺伝子の分野の進展が凄まじい(らしい)。

高橋祥子氏の『生命科学的思考』とか、クリスパー・キャス9関係とか、矢継ぎ早に読みたい本に出会ってしまう今日この頃。