ダーウィンの進化論と優生学と格差問題
『遺伝子』(著者:シッダールタ・ムカジー)を読んでいる。
チャールズ・ダーウィンによると、「変異体」が数種類生まれると、環境に不利なものは絶滅し、環境に有利な変異体のみが生き残る。そして種を存続させていく。
環境変化が起こると、また環境に不利なものは絶滅し、変化後の環境に有利な変異体のみが種を存続させていく。
そのような変異体から変異体への変化のプロセスこそが「進化」。
「進化」というと、何か「優れているから生存競争のふるいにかけられても生き残った」というニュアンスがあるが、それは違う。
たまたま、その環境に適応できただけ。
強いものでも、賢いものでもない。
たまたま、その環境に適応していた変異体が残ったということ。
この「ダーウィンの進化論」が「遺伝子」を介して優生学に結び付き、人類は愚かな失敗をしたというのは歴史の事実である。
優生学は、劣った人間を「劣った遺伝子を保有するキャリアー」であるとみなす。
劣った人間を断絶させなければ、劣った遺伝子が引き継がれ、人類の反映を阻害する、と考える。
優生学というと、すぐに頭に浮かぶのは、ナチスによる民族浄化であるユダヤ人大虐殺である。
1920年代に、アメリカではさかんに「優性手術」が行われた。
精神障害があると認められた者は、遺伝子に欠陥があるとみなされ、次々と不妊手術が施された。
精神障害があるかどうかの判定も極めてエエ加減のテキトー。
貧困で教育が受けられず、その結果、「愚鈍」と判断された者も「優性手術」の対象となった。
格差問題の是正(教育や福祉など)に向かわず、「優性手術」に向かうとは・・・
当時のインテリ階級がこれを黙認または支持していたのが、また恐ろしい事実。
ナチスは更に狂気に進み、いわゆる「断種法」が施行した。
知的障害、統合失調症、てんかん、うつ病、全盲、聾唖などの障害を持つ者は、遺伝子に欠陥があるものとみなされ、「安楽死」の対象となった。
1933年から1943年にかけて、「断種法」により40万人が強制的な断種手術を受けさせられた(殺された)。
これが更にエスカレートし、劣った遺伝子を持つ民族として、ユダヤ人の断種が行われた。
もはや何でもアリの世界。めちゃくちゃ。
恐ろしいのはナチスの狂気だけではない。
多くの人間が、”病気の遺伝形質を持つ個人が有害な遺伝子を子孫へ広げないよう介入することをためらってはならない” 考えたということである。
遺伝子についての正しい知識がない、ということが問題なのではない。
(それはインテリに任せておけばいい)
弱者を作り出す社会、弱者を悪者(生贄)にすることで、自らの心の平静を保とうとする社会の雰囲気が怖い。
ナチスを指示した人たちとトランプを指示した人たちが重なる。
いずれも格差の底辺にいる人たち。
弱者である。
ある意味、自分よりも弱い生贄を求める人達も、格差問題の犠牲者である。
ここに格差問題の根深い闇がある。
鬱屈した社会はいとも簡単に「弱者に対する偏見や排除」の空気を作る。
もちろん、はけ口が「弱者」に向かうとは限らない。
既存のルールを支配している勝者(既得権益者)に向かう可能性もある。
つまり、革命か戦争
個人的にはこっちの可能性は小さいと思う。
勝者が圧倒的に強過ぎる。力を持ち過ぎている。
格差への対応策として一番現実的なのが、「富める勝者」に高率の課税を課して「富の再分配」を行うことだけど、先進国ではこれがことごとく失敗している。
ま、それだけ勝者が強い(政治家を握っている)ということなのだけど。
私が求めるのは「平和」。
革命も戦争も断固拒否。
もちろん、「弱いものイジメ」も断固拒否。
「教育とテクノロジーの可能性」と「個々人の良識」を信じつつ、学び続けつつ、ダメなものはダメとハッキリ抗議したい。
思考停止になって、何となく世の中の雰囲気に流されてしまうことがないようにしたい。
なぜなら私は社会主義者ではなかったから。
次にナチスが労働組合員を襲ったときも、私は声をあげなかった。
私は労働組合員ではなかったから。
その後ナチスがユダヤ人を襲ったときも、私は声をあげなかった。
私はユダヤ人ではなかったから。
それからナチスが私を襲ったとき、私のために声をあげる者はひとりも残っていなかった。(ドイツ人神学者 マルティン・ニーメラー)