数学的思考とは何か
数学的思考とは何か?
どうしたら数学的思考を身に付けることが出来るのか?
そんなことを考えながら『天才の栄光と挫折』(文春文庫:藤原正彦)を読んだ。
この本は、下記の際立った天才数学者たちの列伝である。
アイザック・ニュートン、関孝和、エヴァリスト・ガロワ、
ウィリアム・ハミルトン、ソーニャ・コワレフスカヤ、
シュリニヴァーサ・ラマヌジャン、アラン・チューリング、
ヘルマン・ワイル、ワンドリュー・ワイルズ
これらの天才に共通しているのは、「おそるべき集中力」を持っている
ということ。集中して何をするのか?
「考える」のである。
粘着質なくらいに、ず~と、ず~と、考え続ける集中力がハンパじゃない。
ニュートンなんか、集中のあまりにゆで卵を作るつもりで懐中時計を
煮てしまう、といった逸話にこと欠かないらしい。
天才数学者は、みんながみんな早期のエリート教育を受けている訳では
ない。
むしろ、数学の勉強を始めた時期は遅いという印象。
ただ、数学勉強へのスイッチが入った後が、スゴイ。
何かに駆り立てられたように、数学の世界にヌメリ込む。おそるべき集中力をもって。
こういうところが、天才の天才ゆえんなのかなぁ。
テストで良い点を採りたいとか、試験に受かりたいとか、
そういったことが動機となっているのではなく、
「数学をする」そのものに魅せられてしまっている点。
私のような凡人が彼らのマネは到底、出来るものではないのは言うまでもないのだが、彼らの100分の1でもいいから、「数学的思考」なるものをしてみたい。
じゃ、どうすれば良いか? 何を(100分の1)マネすれば良いか?
①問いを設定する。
②その問いを根気良く考え続けて答えを見つける。
③上記①②を行きつ戻りつしながら、「本質」を発見する。
④上記①②③に没頭する(集中する)
数学を勉強する中で、問いを設定するセンスとか、深く考え続ける習慣とか、「本質」を見出す論理的思考力や美的感覚が養われるのかも知れない。
だが、思考の対象が数学でなくても(音楽でも哲学でも、仕事のことでも)、その対象について「問いの設定」と「根気」と「本質探究」と「没頭思考」を習慣づけることにより、「数学的思考」なるものが出来るような気がする。
そういうことにする。
(狙いは思考に磨きをかけることであって、数学者になることがゴールではないのだから)
★★★
この本の中に出てきた、アラン・チューリング。
彼は第二次世界大戦のときに、ドイツの暗号(エニグマ)を解き、イギリスを亡国から救った。
島国、イギリスに輸送される食物は、ことごとくドイツの潜水艦(Uボート)によって沈没され、イギリスの食料備蓄が「残り僅か1週間分」のところまで追い詰められたらしい。
彼がいなかったら、イギリスは負けていたと言われている。
イギリスが負けていた???
それって、世界史が大きく変わっていたということになるではないか・・・
たった一人の数学者の数学的思考が世界史を変えた、ということになる。
著者は言う。
多様で混沌とした現象の中から論理構造を見出し理解しようと、集中して考え続ける習性が、誰も予想しなかったほど役立ったのである。
問題「解決」能力は、人工知能が得意とするところ。
ただし、問題「設定」能力は人工知能の不得意とするところ。
(人工知能の「フレーム問題」)
ということを考えると、特に「①問いを設定する」という思考習性を身に着けたいと思う。凡人が無防備い③に走ると、脳がフリーズするか、ショートしてしまいそう。
★★★
数学的思考とは何か?
自らの感性の内側から発する(ワクワクするような)「問い」を発し、それについて(無理のない範囲で、楽しく)考えて「本質」に迫っていくこと。
そして、(失敗を恐れずに)自分なりに答えを出すこと。言語化してみること。
失敗も何も、私たちが発する「問い」に模範解答などないのだから。