まろにしも の好奇心メモ

私にとって知的好奇心はエネルギーの源です。読書や考えたことなどでこれは面白い!と思ったことを備忘的に書いていこうと思います!

ドキュメント72時間(銀座おつまみラプソディー)

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ドキュメント72時間

NHKの『ドキュメント72時間』は好きな番組で、時々観る。

72時間の定点観測。定点と言うとおり、原則として場所は固定。

特定の場所が舞台となり、そこに来る人達にカメラを向け、話を聞く。

深く聞き込む訳ではないけど、その人の人生の一部が垣間見られたりする。

今回の舞台は銀座の老舗のおつまみ屋さん。

いろんな人がおつまみを求めてこのお店にやってくる。

〇福岡の中州でバーを開店するためにおつまみを仕入れにきたママさん。
コロナで大変なときやけど、”ピンチをチャンスに” がんばります!
(強いな~)

〇バイトをしながら俳優を目指す東大卒の女性
眼力が強く、輝いていた。

〇銀座でバーを営むバーテンダーの男性
色にこだわりを。ネクタイの緑やおつまみ(えんどうまめ)の緑。
なんかオシャレな雰囲気がぷんぷん。
とても74歳には見えない。

〇孫と一緒におつまみを買いにきたおばあちゃん
二人とも優しそうな笑顔がソックリ!

〇近所で社労士事務所を開業している女性社長。
午後のお茶の時間に従業員に振る舞うらしい。
社長自らが買いに来るのがエライよなあ~

〇広告代理店で働く初老の男性
ドライマンゴーをヨーグルトにつけて食べるのがお気に入りなんだって。
翌日、わざわざNHK取材班メンバーのためにヨーグルトの差し入れを持ってきて、
「美味しいから試してよっ」って。なんかカッコイイな。

〇施設で介護のお仕事をしている初老の女性
長い間、お母さんの介護をしていた。
そのときから、おつまみのクルミを買いに通っていた。
お母さんを天国に送って、いまは介護施設で働いている。
自分も年寄りだから、施設に住んでいるお年寄りの気持ちが理解出来るって。
それに、私のことを”お姉さん!”と呼んでくれるのが嬉しいって。
確かに、肌が綺麗で、すごく若々しい方だった。

〇10年ほど前に工場をたたんだ箱作りの経営者
一番、後悔していることは工場をたたんだことだけど、
いまでも自ら設計して箱を作っているらしい。
とても理知的な話し方をされているのが印象的だった。

〇時計店で働く販売員の女性
今月もよくがんばった自分へのご褒美に、このお店のおつまみを肴にビールと焼酎を味わいます!
(自分を飾る様子は全くなく、表情がすごく素敵だった)

〇北海道に住むお母さんにこのお店のおつまみをプレゼントをする娘さん
最近のお母さんからのお手紙の内容が少しショックだったと、目に涙をためながら話されていた。
自分(お母さん)が死んだ後のこと(お葬式や大切なものの置き場所とか)が書かれてあったので。
⇒こんなに優しい娘さんがいて、お母さんは幸せだと思います。

〇銀座でうん十年もバーを経営するママさん
もともとはだんなさんが経営していたが、比較的若くしてだんなさんに先立たれて、その後お店を継いで長い間がんばっている。
東日本大震災のときに、店を閉じるきっかけが出来たと思ったが、だんなさんに”まだガンバレ、まだやれる”と言われているような気がしたので、やめずに続けてきた。
今回のコロナも、これを言い訳にお店を閉めたくない。
カメラクルーがこのママさんのお店を訪問したところ、文字通り素敵なお店だった。
隠れ家的なお店。なんか落ち着いた感じ。
映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』の中で出てきたお店(ミツオとイズミが久しぶりに再会して話をした)とソックリだった。

★★★

今回も心がホッコリした。

ところで、ラプソディーってどういう意味だっけ?

調べたら「狂詩曲(きょうしきょく)」という意味らしい。

なんで「狂」やねんと思ったら、「狂」という字は、仏教用語では「面白おかしい」という意味があるらしい。また、芸術上の自由な展開を「狂う」というとのこと。

久しぶりに、ユーチューブでボヘミアン・ラプソディーを聴いてみた。

 

 

重力を感じる生活(Life With Gravity)

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無重力状態

仕事柄、私の生活の中で「座っている時間」は極めて長い。

一日に〇時間以上座り続ける生活は健康寿命が短くするリスクがある、という話を良く聞く。

健康のためもあるけれど、仕事の能率という観点から、1時間に1回くらいは立ち上がるように意識している。

しかし、ついつい深みに入り込んでしまうと、いつの間にか2時間、3時間、ず~とパソコンに向かってパチパチとエクセルとかパワポとかを続けてしまう場合がある。

そして下手すると肩が凝って頭痛に陥ってしまう。

NASA式最強の健康法』(ジョーン・ヴァーニカス)を読んだ。

この本のサブタイトル”「座り過ぎ」をやめると、脳と身体が変わる”に惹かれて買ってしまった。

著者はNASAのライフサイエンス部門の責任者を務めたという経歴を持つ。

無重力状態から帰還した宇宙飛行士を観察し続ける中で、無重力状態がいかに老化を進展されるか(体力、免疫力、血圧、血液量、平衡感覚など)を目の当たりにしてきた。

しかし、宇宙飛行士が地球に戻り、重力のある環境で過ごすとすぐに老化状態は改善され、やがて元の身体コンディションに戻る、という。

つまり、我々のコンディションは重力環境に大きく影響を受けるということ。

★★★

わざわざ宇宙に行かずとも、無重力状態に近い生活をすることは出来る。

それは「寝たきり」になるということ。

寝ている状態は、受ける重力が小さくなる。
(逆に、重力を一番強く受けるポーズは起立)

そこで、健康な男女に実験体になってもらい、「寝たきり」生活を続けてもらったところ(トイレに行くときも寝たまま排尿・排便)、宇宙飛行士と同様に、疑似老化症状が現れたというのだ。

そして、「寝たきり」生活から元の生活に戻したところ、(これまた宇宙飛行士と同様に)老化症状は治り、元の身体コンディションに戻った。

ということは、歳を重ねていくにつれて老化が進むのは、加齢そのものが原因ではなく、「加齢」→「何らかの病気」→「身体が動かせないようになる」→「寝たきり生活(疑似無重力環境)」→「老化」というように、「寝たきり生活(疑似無重力環境)」が直接、老化に影響を及ぼしているという可能性もある、ということだ。

逆に言うと年齢は老いても、重力に負けずに身体がピンピンと動く限り(動かしている限り)、老化が(あまり)進まないのではないか、ということだ。

著者の主張は、無重力状態(寝たきり)ではなく、「重力と共に生活をしよう」ということ。

「重力と共に生活をする」ということは、何も「30分以上の運動を週3回以上おこなう」というハードルの高いことではない。

日常生活の中で、こまごまと動くということ。

じーとソファに座り込んでテレビを観るような生活ではなく、CMのときに、少し動いてお茶を入れるとか、出来るだけ階段を使うようにするとか、自分で料理をするとか。ちょっとした散歩をするとか。

一言で言うと、家事こそが「重力と共にある生活」ということかも知れない。

様々な要因があるのだろうけど、男性よりも女性の健康寿命が長い理由の一つに、女性は家事を通してこまごまとよく動く生活をしている、ということがあると思う。

「ライフ ウィズ 重力」

適度なスポーツが身体に良いということは事実だと思うが、”今日は2時間スポーツをしたから、残りの一日はソファに座ってDVDをボーと見よう(読書をしよう)”はダメという。

負担にならない程度に、”一日を通じて”こまごまと動こう(面倒ぐさがらずに家事をしよう)。

重力に屈してはならぬ!

それが大事であって、それプラス スポーツがあれば良いけど、無理はせんでもいい。

無理して運動しなくても、重力フレンドリーな生活の方が大事、というのが著者の主張(激しい運動は健康には逆効果という研究もある)

「重力フレンドリーな生活」については、本の中でいろいろと紹介されてあったけど、どれも難しいものではないし、真新しいものはない。

繰り返すが、基本は家事をする。

 ”よっこらしょ”と言いながらも、こまごまと(くるくると)動き回るようにしようと思う。

食器を並べたり、食べたお皿を洗ったり、お風呂のお掃除をしたり、買い物に行ったり、洗濯ものをたたんだり・・・

もう少し妻の手伝いをしよう、と思う今日この頃である。

 

 

 

 

 

 

趣味は通勤?

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ザ・通勤

私の趣味は何だろうか?

読書は好きだけど、趣味と言えるだろうか?

普通に楽しいけど、そればっかり一日中するぐらいに夢中になっている訳ではない。

習慣の一部のようなもの。

ハッキリと趣味と言えるようなものがないのは我ながら何か物足りない。

人が聴いたらビックリするような趣味を持っている人に何かしら憧れる。

料理とか、釣りとか、小説書いているとか、登山とか、茶道、生け花、切手のコレクション、神社仏閣巡り、絵画、模型作り、マンドリントライアスロン、秘湯巡り、鉄道観察、昆虫採集とか・・・

実用的でなくて、かつ、マニアックな趣味を持つことに憧れる。

憧れるだけで、”よしやってみよう!”と思うものは考えども考えども出てこない。

素直な気持ちで顧みるに、自分にとって心地良い時間とは、30分ほどの読書、カフェ時間、散歩、食事・・・以上。

なんか「消費系」のモノばかりやな。

ま、趣味やから何でもいいのやけど。

ここでふと思った。

30分ほどの読書と散歩は、毎日の通勤のときの習慣ではないか。

朝、駅に向かうまでの25分の徒歩の時間は、清々しく気持ちが良い。

朝陽を浴びてのウォーキングはサイコー。

このときの気分は好きだ。

そして電車の中での読書時間も好きだ。

不思議なことに朝の電車の中での読書は、脳がシャキっとしていて実に集中できる。

いまから仕事に行くという適度な緊張感も手伝って、この時間がとても愛おしい。

25分という時間も私にはちょうど良い。

帰りの電車では漫画を読む(いま読んでいるのは『ブルー・ピリオド』)。

仕事を終えた後の適度な解放感の中で漫画を読む時間も、私にとってはかけがえのない大切な時間。

そして、駅から家までの徒歩は、オーディオブックを聴いている。

オーディオブックとウォーキングは実に相性が良い。

小説を聴いていると、アっという前に我が家に着く。

★★★

要は、「行きの通勤時間」と「帰りの通勤時間」は、『私』と『公』のクッションとしての役割を果たし、このクッションのときにする読書やウォーキングが私にとって、大切なひとときなのだ。

趣味(以上の)の時間と言えるかも知れない。

このことに気が付いたのは、コロナ禍の中で在宅勤務をするようになったとき。

最初は通勤時間から解放されるのが、とても嬉しく感じた。

その分、自分の時間、つまりは自分の趣味の時間を多く持つことが出来るぞっと。

。。。

でも違った。

私の性格なんだろうけど、「通勤」という目的があったから、ウォーキングも読書も漫画もオーディオブックも楽しむことが出来る。

集中できる。

そして癒される。

「通勤」という目的もなく、思う存分に散歩をしようなんて思わないし、思う存分に読書をしようとも思わない。

思う存分に朝から晩まで漫画を読もうとも思わないし、思う存分にオーディオブックを聴こうとも思わない。

それらは全て、通勤があるから、もっと言うと、「仕事前」または「仕事を終えた後」という適度な緊張感と解放感とセットになっているからこそ、愛おしく思えるのだ。

中学とか高校のとき、特にテレビを観るのが好きだった訳ではないけれど、試験勉強中の合間の休憩のときに見るテレビの時間がとても愛おしかった。

それに少し似ているかも知れない。

そう考えると、私はそんなに仕事熱心でもないし、仕事が特に面白いとも思わないけれど、仕事があって通勤出来るということは、私のような平凡な人間(マニアックな趣味がない人間)にとってとても大切なことだと言える。

感謝。

★★★

じゃ、「通勤」が発生しない週末は何をするのか?

「電車」が「カフェ」に変わって、そこで読書して、カフェの行きと帰りの散歩。

そしてブログかな。

多分、

インプット(読書)とアウトプット(ブログ)とそれらを繋げる思索の時間(散歩)をうまくバランスさせて・・・

とかあまり考えない方がいいんだろうな。

週末の時間の過ごし方は、またジックリと考えるとして、

「通勤」の時間が私にとっては大切な時間であるということに気付けたのは、収穫でした。

 

バッファリンからの卒業

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ザ・偏頭痛

ちょっとしたことで、よく頭が痛くなる。

例えば、大事な会議の前とかでストレスが溜まったとき、休憩せずに長時間ぶっ続けでパソコンに向かって仕事をしたとき、寒暖差が激しいとき、花粉の季節のときなど。

放置していると、偏頭痛はエスカレートする(ような気がする)。

仕事にも集中できないし、気分もスッキリしないし。

なので私はバッファリンが手放せない。

バッファリンを飲んで、ジ~としているとやがて頭痛はおさまってくれる。

いままでさんざんにお世話になったが、もうバッファリンとは縁を切らせていただくことにした。

何故か?

バッファリンに入っている鎮痛剤、つまりアスピリンが腸内環境を悪くする可能性があるから。参考「NSAIDsおよび低用量アスピリンと消化管障害」

多分、たくさん服用しなければ問題にはならないと思うが、私のように「バッファリンの友」になるくらいに常用してしまうと危険度が増してしまう。

ただでさえ私は消化器系が弱いので、日頃からせっせとヨーグルトを飲んで、善玉菌の腸内培養に励んでいる。

本で聞きかじった知識だけど、腸は「第二の脳」というくらいに、体内コントロールの要として活躍してくれている。

なんでも、腸が機嫌よく働いてくれると、身体全体が調子よくなるようだ。

ストレスは適度に制御され、頭もスッキリし、免疫機能もバッチリ働き、風邪にも引きにくくなる。

ということで、QOL(Quality Of Life)を高めるにめには、腸が働きやすい環境を整えてあげることが大事。

なのでバッファリンには申し訳ないが、ここは穏便に手を引いていただくこととした。

★★★

さっそく、今週の木曜日(寒暖差が激しい日だった)に頭痛を発症したが、断固としてバッファリンの服用を絶った。

ズキズキと痛い。次第に痛みが増す。”こんなに痛かったっけ?”というくらい痛い。

せっかくのお昼休みなのに散歩にも行けない。

もともと私は痛みにはめっぽう弱い。

とうとう我慢出来ず、どうしたかと言うと・・・

漢方に頼ることにした。

会社のすぐ近くにある薬局に行って、「頭痛に効く漢方の薬をください」と必死になって嘆願した。

慈悲深い顔をした薬局のおじさんは、「頭痛に効く漢方の薬はいろいろとあって、おたくにはどれが効くのか分からないがとりあえず」ということで、「リュウケイジュツ カントウ」というツムラ漢方医薬を処方してくれた。

文字通り、ワラにもすがる思いですぐに飲んだ。

そしたら効いた。

じんわりと痛みが和らぐ。お~。この解放感。

しかし3時間ほどすると、またもや頭痛がぶりかえしてきた。

しかし家に帰って、食前にもう一度「リュウケイジュツ カントウ」を飲み、緑茶を飲んで(頭痛に良いと聞いたことがあるので)あったかいお風呂に入ってすぐに寝たら、翌日には治っていた。

ということで、これからは偏頭痛になったら漢方医薬に頼ろうかと思っている。

 

 

積み立てNISAの活用方法についてアレコレ悩んでみた

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積み立てNISA

積み立てNISA(積立型の少額投資非課税制度)について、ふと興味を持った。

会社で企業型確定拠出年金を積み立てているのだが、毎月の積立額は「すずめの涙」ほどであっても、長期間に渡り運用していると(運用しているという意識は全くないが)いつの間にかジワジワと評価益が蓄積されていることに気が付いた。

特に蓄積されていたのが、外国株式のインデックス型投信

インデックス型投信は、日経平均株価(日経225)やTOPIX東証株価指数)など市場全体の動きを表す代表的な指数(インデックス)に連動した投資成果を目指す投資信託

特定株式に投資するのではなく、市場全体の株式を時価総額などの比率に基づいて配分投資するので、株価変動リスクが市場全体にうまく分散されるのが嬉しい

そこで調子にのって、確定拠出型年金(DC)の掛け金を増やそうとしたのだが・・・

投資信託会社に確認したところ、うちの会社の契約プランでは、これ以上掛け金を増やすことが出来ないことが分かった。

しかもこのプランでは、個人型の確定拠出年金iDeCo)も出来ないことが分かった。

確定拠出年金の大きなメリットとして、売却益が非課税となることと所得税が軽減されることがある。

なので、確定拠出年金で非課税のメリットを享受しつつ、インデックス投信で運用することによって株価変動リスクを低減しつつ、長期にわたってコツコツと利ザヤを稼ごう(「スズメの涙」作戦)と目論んだのだが・・・

確定拠出年金での掛け金増額の道が閉ざされてしまった。

そこで積み立てNISAを検討することとしたという次第。

積み立てNISAとは積立型の少額投資非課税制度で、これも売却益が非課税になるというメリットがある。

通常の投信の場合、売却益に対して約20%の税金がかかるので、やはりこのメリットは大きい。

ただし、非課税期間が20年という縛りがある。

積み立てNISAを始めるにあたって、どのような運用方法が良いのか、いろいろと調べてみた。

1.開始するタイミングについて

素人の浅知恵としては、価格が底地のときに始めるのが良いんかな・・・?

しかし価格を見極めるのは難しいぞ。

特に超優柔不断な私のこど。

なかなか踏ん切りが着かずいつまで経っても始めることが出来ないということになってしまう。

⇒その考え、間違えてました。

一回で大量購入するのではなく、購入時期を分散(=長期積立)することにより、時期による価格の変動リスクを分散できるとのことでした。

これはNISAそのものメリットというより、長期の定額積立型投信のメリットになるのだけど(もちろん、積み立てNISAはこのメリットを享受できる)。

毎月定額投資することで、価格が低いときにはたくさんの口数を購入し、価格が高いときには少ない口数を購入することが出来る。
⇒ 平均購入単価を引き下げることが出来るということ。

なので、始めるタイミングはあまり重要ではない。

長期投資が前提であれば、価格変動の波があっても、時間分散によって平均購入単価を抑制出来る(高値でつかまされるというリスクを抑えることが出来る)。

このような定額投資による長期積立方法をドルコスト平均法と言うらしい。
(聞いたことはあったけど、そういうことだったのね)

リスク分散という意味では、長期であればあるほど効果があるということになる。

価格が下がっているときにもタンタンと一定額を購入し続けることが重要(価格が下がっているときこそ、平均購入単価を下げるチャンス!)であって、そこでむやみに損切りしようとして売却するのは望ましくないということになる(ま、そもそもの前提が長期投資やし)。

 

2.売却するタイミング

素人の浅知恵としては、出来るだけ高値で売却したいと考える。

だけど、高値のタイミングって見極めるのは非常に難しいぞ

実際のところ、ドル・コスト平均法によってせっかく平均購入単価を押し下げても(たくさんの口数を購入しても)、結局は売却時の価格がモノを言う。

最終的な評価額=売価時点の投資信託の価格×口数

相場がある程度上昇していれば何の問題もありませんが、そうでなかった場合、投資終了のタイミングは損益に大きな影響を与えます。

大丈夫。その手があった。

長期分割売り

購入時に一括購入するのではなく、分割して定額購入することで時間分散をおこなった。それによって平均購入単価を引き下げた

じゃ、売却時も同様に、一括で売却するのではなく、分割して売却すればよい。

ただし「定売却」ではなく「定売却」によって、平均売却単価を引き上げることが出来る。⇒ 長期分割・定量売却

つまり、売却時の価格が高いときに売却額を稼ぎ、売却時の価格が低いときは、売却額を抑制するということ。

なるほどね~。

積み立てNISAと言う商品は、「長期」であればあるほど有利になるように設計されているんやね。

長期分割・定額購入して平均購入単価を引き下げ、長期分割・定量売却して平均売却単価を引き上げるのが最強の戦略。

 

だがしかし

「長期」というけど、NISAの非課税期間は20年

悠長に構えていると、課税が発生しまうではないか・・・

大丈夫。

非課税期間内に売らなくても税制面の不利はなし

たとえば、2018年1月から毎月3万円ずつ積立投資をして、20年後の2037年12月末時点で元本720万円が1000万円に増えていたとする。

売却しない場合この1000万円は、課税口座に移される。

しかしその際は1000万円が新たな取得価額になる。

つまり、売却しなかったとしても、過去20年分の利益、280万円に課税されることはない。

課税額は新たな取得価額である1000万円からの値上がり分に対して発生。

少し安心した。

20年後に評価額が元本を下回ってると少しショックやけど、長期にわたって分割して売却すれば、(その間に値上がりしてくれば)充分にリベンジ可能という希望もある。

(NISAでは、老後が近づいてきたら毎月の積立は中止して、少しづつ売却しながら運用だけを続けるということも可能)

 

結論:開始するタイミングも売却するタイミングもあんまり神経質にならず、とにかく「長期購入(定額購入)+長期売却(定量売却)」を心掛けて、悠長に構えて運用するべし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マッチング理論と善きサマリア人ドナー

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腎臓移植にマッチング理論を適用

『マーケットデザイン』(酒井豊貴氏、ちくま文庫)が面白い。

この本の中では、組み合わせを専門的に扱う学問分野である『マッチング理論』について分かり易く解説されている。実に面白い。

例えば、腎臓病の患者とドナーの組み合わせが相性良くなるように組み替えて(不適合カップルが適合カップルとなるように組み替える)、より多くの移植を実現するために、『マッチング理論』が適用される。

マッチング理論は、デビッド・ゲールとロイド・シャプリーが1962年に発表した論文で始まった応用数学の一種(数式が一つも出てこない論文とのこと)。

シャプリーはマッチング理論への貢献をたたえられ、2012年にアルビン・ロスとノーベル経済学賞を共同受賞している。

腎臓移植は誰の間でも可能というわけではない。

例えば、血液型などの適合性条件が存在する。

血液型が適合していない移植は、患者の体がドナーの腎臓を異物として判断してしまい、強い拒絶反応を起こしてしまう。

腎臓病患者(夫の太郎)がA型で、ドナー(太郎の妻、花子)がB型の場合は、不適合ペアとなってしまう。

しかし、不適合ペアが2組以上いるなら、ドナーを患者間で交換することで、適合性条件を満たし、移植が可能となる。

例えば、

腎臓病患者(太郎)がA型で、ドナー(太郎の妻の花子)がB型は不適合ペア

腎臓病患者(次郎)がB型で、ドナー(次郎の妻の良子)がA型は不適合ペア

だけど

各々のドナーを交換すると・・・

腎臓病患者(太郎)がA型で、ドナー(次郎の妻の良子)がA型は適合ペア

腎臓病患者(次郎)がB型で、ドナー(太郎の妻の花子)がB型は適合ペア

となる。

ドナーを患者間で交換するというのはスゴイ発想やなぁと思うけど、
これでメデタシ、メデタシ・・・   とはならない。

多数の不適合ペアがいるときに、どうやって適合ペアに組み替えていくか

その方法は何通りもある(膨大な数の組み合わせ)。

その中で、ベストな組み合わせは存在するのか何をもってベストとするのか

ベストな組み合わせを決めるアルゴリズムはどういったものか。

それを理論化したものが、マッチング理論。

このアルゴリズム(トップ・トレーディング・サイクル・アルゴリズム)は決して、難解なものではなく、この本でも図を用いて、丁寧に説明してくれている。

著者は、アメリカに留学していたとき、このアルゴリズムを50歳前後の主婦の人たちに下手くそな英語で説明して、「なるほど」と思ってもらえたとのこと。

(私も「なるほど」と分かった(気になった))

マッチング理論を適用して腎臓移植を行う場合、患者とドナーの組み合わせが多数あればあるほど望ましい。

特に、適合する腎臓のタイプが稀にしか存在しない患者にとっては、ドナーの数が多くいればいるほど、適合する可能性が高くなる。

更に、無償のドナー(自分の腎臓の片方を見知らぬ誰かに寄付する人)がいることで、マッチングする数を増やすことが出来る

この無償のドナーのことを「善きサマリア人ドナー」と呼ぶ。

親切な隣人の例として聖書の中に出てくるサマリア人にちなんで。

この本によると2012年のニューヨークタイムズに、なんと30人の患者と30人のドナーの手術が全て成功を収めたことが報道されたのこと。

そしてこの成功を支えたのが、善きサマリア人ドナーであるリック・ラザメンティ氏

カリフォルニア州在住、ヨガを愛好する44歳の男性。

もちろん彼が30個の腎臓を寄付したということではない(笑)

一人の善意の寄付によって、30組の適合マッチング創出に貢献したということ。
(念のために言っておくが、この一人の寄付がなくても29組の適合マッチングが出来るというものではなく、連鎖的に破綻してしまう)

こうした寄付者は続々と現れており、別の善きサマリア人ドナーであるデビッド・コスター氏は言う。

腎臓の寄付をして以来、自分はドナルド・トランプビル・ゲイツを足したよりリッチになった気分だぜ!

マッチング理論の応用可能性は非常に大きい。

男性と女性の婚活パーティンでのカップリングや、研修医の病院への割り当てなどで実際にマッチング理論が適用されているらしい。

これについても、いつかブログで紹介したいと思う。

 

遺伝子の神秘

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遺伝子

『遺伝子』(シッダールタ・ムカジー)を読んでいる。

遺伝子レベルで見ても、種の存続の戦略として「多様性」がいかに重要であるかが分かる。

多様性があるから、いかなる環境変化があったときにも、種を存続させる確率を高めることが出来る。

極端な話、多様性が無く「純血」種であれば、環境変化でイチコロ、全滅してしまう。

ここでポイントとなるのは、環境変化で生き残った種が優れているという訳ではない、ということ。

つまり、種の存続という見地から見ると、優れた遺伝系というものは存在しない。

「たまたま」その環境にフィット(適合)したものが生き残ったに過ぎない。

例えば、「美しく高い鼻」の男は女性にモテるとする。一方、「醜いだんご鼻」はモテないが、実はメッチャ生命力が強く、病気になりにくいとする。

この場合、子孫を残し、増やし続けることが出来る遺伝子は「(単に)高いだけの鼻」となる。

生命力が強いだんご鼻は子孫を残せず、やがて淘汰されてしまう。

★★★

優生学は、「優れた遺伝子」を残し、「劣った遺伝子」を断絶することに熱心であるが、そもそも「優れた遺伝子」とは何か?

人間の浅知恵で考えると、健康で知能が高く、美しい遺伝子が「優れた遺伝子」だと言うことになる。

仮にそうだとしても、問題はそんなに単純ではない。

何故なら、そういった複雑な表現型(健康、知能、美貌)を遺伝子レベルで特定することは出来ないからだ。

つまり、「頭が良くなる遺伝子」とか「美貌になる遺伝子」を、1対1で特定して抽出できるものではない、ということ。

エビデンスがある訳ではないが、極端に知能が高い人は、極端に内向的で繊細な人が多い。感受性が強すぎて精神的に不安定な人も少なくない。

極端に高い知能を持つということと、精神的な不安定さを抱えるということは、相関している可能性が高いように思える。

仮に遺伝子操作によってIQ200の知能を得たとしても、極めて繊細な精神も一緒に引き継いでしまうかも知れない。

そもそも「頭が良い」という絶対的な尺度はあるのか?

これまた美貌と同様、時代や環境に変わってくる相対的なものではなかろうか?

かつては認知能力(推理、論理、空間認識、言語、記憶など)が高い(IQが高い)ということが「頭が良い」ということだったかも知れないが、これらはAIが得意とする分野である。

これからは、感性とか人間関係構築力とか、やり抜く力とか、忍耐力とか、感情リテラシーが高い人が「頭が良い」ということになるかも知れない。

更に興味深いのは、仮に全く同じ遺伝子を持っていても、その遺伝子が「ON」の状態か「OFF」の状態かによって表現型には差異が発生するということ。

つまり、同じ乳がんになる遺伝子を持っていても、乳がんを発症する人もいれば(ONの状態)、発症しない人(OFFの状態)もいるということ。

良い遺伝子はONにしたいし、いやな遺伝子はOFFにしておきたいけど、このスイッチを能動的に切り替える方法は解明されていない。

そう言えば、小学生のときは劣等生だったのに、中学生になってから急に賢くなった友達がいたなぁ。

あれってもしかすると、知能を含む遺伝子が何かの弾みで「ON」になったのかも知れない。

分子生物学者の村上和雄氏も同じことを言っていた。
(落ちこぼれだった自分が京大に入ったのは、高校生のときに知性の遺伝子が「ON」になったからだと言っていた。確かに。勉強の面白さに目覚めたときに、何かの拍子に知能の遺伝子がオンになったりするかも知れない)

遺伝子って神秘的だなぁ。

人間が人為的に操作するには、あまりにも深遠過ぎる。

20世紀は「物理学の世紀」、21世紀は「生命科学の世紀」と言われているとおり、いま遺伝子の分野の進展が凄まじい(らしい)。

高橋祥子氏の『生命科学的思考』とか、クリスパー・キャス9関係とか、矢継ぎ早に読みたい本に出会ってしまう今日この頃。